雇用契約を結ぶと
雇用契約を結ぶというのがどういうことか、という点、ここまで何度か説明をしてきましたが、再度復習します。
雇用契約の当事者(雇われる側である従業員と、雇う側である会社)は、お互いに相手に対して
・従業員は、仕事の内容や日時や場所など約束した条件で、会社の指示に従って働くこと
・会社は、従業員に対して賃金を支払うこと
という義務を負うことを合意していましたね。
こういう契約をした以上、お互いにちゃんとこの内容を守らないといけませんよね。
じゃぁ、お互いにこの内容をちゃんと守っていれば、それ以外はどんなことをしても構わないのか、というのが今回のお話の中心です。
こう書くと他にも何かあるってのはバレバレなんですが、実際にあります。
そのあたりを見ていきます。
たとえば、工場でいろいろな機械を使う製造業の会社があったとします。
工場にある機械は、強い力で金属を切ったり薄く延ばしたり、速い動きで材料を運んだり、高い熱で物を溶かしたり、といったように、生身の人間にはとてもできないことをやっています。
この会社に新入社員が入ったときのことを考えましょう。
会社としてはこの機械を使って材料を加工して製品を作ってね、という指示を出して、ちゃんとその人が働いてくれたらお給料を払うよという義務を果たすつもりでいます。
でも、それだけでいいんでしょうか。
もし、製品を作れという指示を受けただけで、機械の使い方をよく分からないまま新入社員が機械の操作を誤ってケガをしたとして、悪いのは新入社員でしょうか。
おそらく多くの方はそうは考えないのではないでしょうか。
雇用関係という特別な関係の当事者となった以上、労働と賃金の交換というのが中心的な義務です。
ですが、この特別な関係にあることによって、中心的な義務以外であっても、お互いに守るべきことが出てきます。
上の例で言えば、ちゃんと新入社員に対して安全に仕事をするための機械の使い方について教育をしておく、操作のマニュアルを渡して、その説明をしながら一緒に操作して、その機械にはどういう危険性があるから、どういうことに注意しながら仕事をしていく必要があるか、といったようなこと。
こういうことをちゃんと伝えずにケガをしたとしたら、それはやっぱり会社が悪いんじゃないのかな、と考えますよね。
だからこの場合は、どちらかと言えば従業員の方を守ってあげたいし、逆に行くと会社に責任を取らせたいなと思う人が多いと思います。
そういった考え方を、法律の世界では「安全配慮義務」という言葉で表現することにしました。
つまり、この場合で言えば、雇用契約という特別な関係に基づいて会社の指示に従って従業員が働くのだから、会社としては仕事によって従業員がケガをしたりしないように、機械の使い方の教育をちゃんとするといったようなことをするべきだよね、という考え方を、それが望ましいねというふわっとした話ではなくて、法律上の義務があるよね、ということにしました。
ですから、ちゃんとそういうことをしなかったせいで従業員がケガをしたのなら、それは会社の方に義務を果たさなかったという責任があるんだから、たとえば損害を賠償しなきゃいけないよ、ということを言えるようにしたのです。
この話の前提にあるのは、民法の「信義則」という考え方です。
民法第1条(基本原則)
第2項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
民法には、私人と呼ばれる個人や企業が契約する場合のルールが書いてあるよ、というお話を以前にしました。
その中でも第1条では、そのルールの基本的な原則について書いています。
信義則というのは第2項に書いてある内容のことで、信義誠実の原則という風に言われることもあります。
つまり、お互いに契約して、他の人や企業とは違う特別な関係になったのであれば、信頼に応えたり、期待される行動を取らないといけないよね、ということです。
信義則自体は正直なところふわっとした概念です。
何が信義で何が誠実かというのは1+1=2のような明快な答えが出せる問題ではありません。
逆に言うと、法律を作るときにあらゆるケースを想定して条文を用意しておくことが不可能なので、こういうふわっとした内容のルールを置いておく方が便利だったりします。
ケースバイケースでどっちの責任が重いかなぁということを具体的な事情を見ていきながら考えて、契約や民法の他の条文には書いてないけど、この人がやったことは信義則に違反するから賠償してね、というような使い方をすることになります。
以前にも紹介した労働契約法という法律の中にも、この民法の信義則から派生した条文があります。
労働契約法第3条(労働契約の原則)
雇用契約を結んだ、という特別な関係があることで、労働と賃金という中心的な義務だけでなく、誠実に対応する義務も負うことになるというところから、雇い主は安全配慮義務というものも負うことになるんだよ、ということになります。
こういった中心的でない義務のことを、付随(ふずい)義務と言います。
契約をしたことにくっついて負うことになる義務です。
そして雇用契約を結んだ場合の付随義務にあたるものは、安全配慮義務だけではありません。
たとえばパワハラとかセクハラとか、そういったことが起きる職場というのはとても働きにくいものです。
従業員としては誠実にちゃんと仕事をしたいのに、職場でのハラスメントが原因でしっかりと働けないということにつながる可能性があります。
そしてハラスメントに対して嫌だと言って抵抗するというのは、職場の力関係の中では難しいことも多くあります。
そこから、会社が、ハラスメントが起きたりしないように予防をすることや、そういうことをした人がいたら注意したり罰を与えたりして、再発防止策を取るべきだよね、という考えが出てきます。
従業員がちゃんと仕事をすることができる職場環境を用意するよう配慮すること、職場環境配慮義務というものも、雇用契約という特別な関係がある以上は、会社は負うべきだという風に考えられています。
それから、従業員ひとりひとりには、会社の従業員とは別に、一個人としての生活があります。
ある人は家族が病気になって介護をしているかもしれません、ひとり親として子の祖父母(自分の父母)に手伝ってもらいながら子育てをしている人もいるかもしれません。
もし、転勤の可能性があるということで雇われている人にだったとしても、会社はその人を今転勤させることが家族の状況からして適当なのかとか、転勤させることが必要だとしても遠くではなくてそのまま通える別の所に転勤させることはできないか、といったような、状況に配慮する義務というものも負うことになります。
会社は賃金さえ払えば何をしてもいいというわけじゃないということが分かりましたね。
逆に、従業員の側も仕事さえしていれば何をしてもいいわけではありません。
従業員側にも、雇用契約により負うことになる付随義務というものがあります。
これも見ていきましょう。
たとえば会社で働くうえでは、どこからいくらで何を仕入れて、どこにいくらで売っているという取引情報とか、会社のノウハウとかといったような、外にいては分からない情報を知ることができます。
会社が持っている個人情報を知ることもあるでしょう。
でもこれって、何で知ることができたかと言えば、会社の従業員として会社の仕事をするためですよね。
であるならば、会社の仕事以外のことをするためにこの情報を使うというのは、やっぱり会社に対して誠実な行動ではありませんよね。
ですから、会社の外部に対しては、仕事上知ったいろいろな秘密は守らないといけないことになります。
こういったことから、従業員は「秘密保持義務」を負う、ということを言われます。
それから、会社で働きながら、ライバルである同業の他社でも仕事をするとか、会社の競争相手になるような事業を自分でも始める、といったようなことも、やっぱりどうかと思いますよね。
こういったことは、「競業避止義務」を負う、という風に言われます。
(もし退職後であれば少し状況は違います。社会科で憲法について勉強したときに、日本国民には職業選択の自由があるということを習った人も多いと思います。憲法で認められた職業選択の自由があるのに、退職して同業の別の会社に転職することが制限できるかといえば、それが適切であるというケースもあれば、そうではないケースもあります。)
それから、会社は、従業員が仕事をすることについてのいろいろなルールを決めています。
会社が組織として動いていこうとすると、皆が好き勝手に自由に行動するだけでは成り立ちません。
だから、働くときにはこういうことをやっちゃだめですよ、とか、逆にこういうことをしてくださいよ、という会社としての基準、ルールをちゃんと決めておいて、従業員にその内容を分かってもらう必要があります。
そしてこういうルールを守らない人がいるのだとしたら、注意や指導や教育をして改善してもらうようにしないといけないですし、そういうことをしても違反を繰り返すような人がいれば罰を与える、場合によってはクビにすることが必要になるかもしれません。
こういった罰のことを、懲戒(ちょうかい)と言いますが、この懲戒についても通常会社はルールを決めています。
何をしたら罰を受けるのか分からないのに、後付けで罰を与えると言われると働く側は非常にやりにくいですからね、ちゃんと働くうえでのルールを明らかにしといて、それに違反したらこんな罰を与えるよ、ということもルールを決めている、というわけです。
ですから、会社として組織活動をするうえで定めたこういうルールについても、従業員はちゃんと従わないといけません。
たとえば「仕事中に飲酒をしてはいけない」というルールがあったとしましょう。
仕事中にお酒を飲むこと自体は、例えば法律に違反するような行動ではありません。
もちろん飲酒したうえで取引先まで運転をするようなことは法律違反ですが、ただ職場の事務所でお酒を飲んで、電車で帰っていくことは法律上特に罰が課せられることではありません。
でも会社としては困ります。
酒気を帯びた状態でちゃんと仕事できるか怪しいとか、その状態で機械を操作されると危ないとか、お客さんのところに酒臭い人間が行くとクレームになるとか、いろいろ考えられますよね。
だから会社としては、仕事中に飲酒をしたり、酒気を帯びた状態で勤務をすることを禁止するというルールを作ったわけです。
会社がルールとして決めればなんでも通るわけではありません。
例えば仕事中はトイレにいってはならないというルールを作っても守れるわけありませんし、健康にも悪いです。
客先に行ったら金目の物を盗んで会社に持ち帰らないといけないみたいなルールを作ったとしても、こんなのは犯罪行為ですから守る必要はありません。
もはや会社というより盗賊団です。
でも、そういう無茶なことじゃないんであれば、一応は会社はその会社なりに、集団活動をしていくうえでの秩序を維持するために、働くときのルールを作ることができて、従業員は会社の指示に従うのが基本的な働き方なのだから、そのルールにも従ってくださいね、ということになります。
従業員が負うこの義務を、「企業秩序遵守義務」というふうに呼びます。
従業員も会社も、雇用契約を結んだことで付随義務を負うことになりました。
そしてこの付随義務というものは、あらかじめはっきり全てが示されているものではなく、そのときどきの状況や時代の変化によって新しく生まれたりすることもあります。
ですから、お互いに、自分がこうすることは、相手方の利益を不当に侵害することにならないかどうかというのをちゃんと考えて行動することが大事になります。
そのためには、ちゃんとコミュニケーションを取って、お互いの状況や考え方を把握しておくことも必要ですよね。
本日はここまで、ありがとうございました。
それでは。
一般法・特別法
前回は、労働基準法が労働条件の最低基準を定めているというお話をしました。
なぜそんなことをしているかと言えば、民法の前提である、対等な私人同士が自由な意思によって契約をする、という点が、対等でない立場である雇う側、雇われる側の関係においては妥当ではないからです。
ですから、労働基準法によってそれを補うために、たとえ合意があったとしても、これより悪い条件だと無効になるよ、という形で修正することにしたのです。
ちなみに、AさんがB社の従業員として働いて、そのかわりにB社からお給料をもらうという契約をした場合、民法と労働基準法、どちらが適用になるのでしょうか。
労働基準法だ!と思いますよね。
もちろん労働基準法は適用されますが、それだけではありません。
民法も適用されます。
どういうことでしょう。
答えはどちらの法律も適用されるんですが、同じように適用されるわけではありません。
ますます謎ですね。
もうちょっと詳しく見ていきます。
法律の世界では、一般法と特別法、という言い方をするんですが、ある分野に一般的に適用される法律がある場合に、その中のより狭い範囲を特定してものごとを決めた法律がある場合は、後者の方が優先して適用される、という考え方をします。
これだけだと、謎は解けませんよね。むしろ深まりそう。
具体的に見ていきましょう。
民法というのは、一般の個人や企業である、私人同士の契約の場面に適用される法律です。
雇用契約もあれば、物の売り買いをする契約もあれば、お金を貸すという契約なんかもあります。
そして、労働基準法というのは、その民法で定めた雇用契約を結んだ当事者に適用される法律です。
ですから、民法と労働基準法を比べると、後者の方がより狭い範囲を特定して適用される、ということになります。
物の売り買いをする場面には労働基準法は関係ないですからね。
ですから、この2つの法律でいえば、民法が一般法、労働基準法が特別法、という関係になります。
(あくまで、それぞれを比べたときにどちらが一般法で、どちらが特別法か、という言い方をするだけで、相対的なものです。労働基準法と他の法律を比べたときには、その2つの間では労働基準法の方が一般法になる、ということもあります。)
で、じゃぁ雇用契約を結んだ場合に、民法が一般法で、労働基準法が特別法にあたることは分かったとして、具体的にどうなるのか、というのを見ていきましょう。
特別法である労働基準法には、労働者が働くことについてのいろいろなルールが書いてあります。
ですが、何もかもあらゆる出来事を想定していろんな条文が書かれているわけではありません。
そんなことしたら条文が何千何万あっても足りないですよね。
あくまで、民法だけだと不都合な部分を補うために労働基準法でいろんなことを定めています。
労働基準法の第1条ではこんなことを書いています。
労働基準法第1条(労働条件の原則)
原則としてはお互いに合意した内容があるんだけれども、とはいえ、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たす」ことができないような労働条件ではだめだよ、と考えて、いろんな条件についての最低限度を決めているわけです。
ですから、労働基準法の中でわざわざ書いてあることについては、一般法である民法に書いてあることよりも、特別法である労働基準法を優先してくださいね、という風に考えます。
これを裏返せば、雇用契約に関係することであっても、労働基準法にわざわざ書いてないことであれば、その場合は民法の内容をもとに考えていきましょうね、ということです。
(ただし、労働基準法以外の法律が、民法と比べたときに特別法にあたるような場合であれば、結果として労基法には書いてないけれど、民法ではなくその特別法の方の内容をもとに考えましょう、ということになることもあります。)
もう一度整理しましょう。
雇用契約を結んだときには、民法も労働基準法も両方適用はされます、されますが、2つのうち優先されるのは労働基準法に書いてあることですよ。
もし労働基準法に書いてないんだったら、民法の内容によりますよ。
これが、一般法と特別法の関係です。
そして、特別法である労働基準法では、前回見た第13条に書いてあったように、労働基準法の基準に達しない労働条件を定めて契約しているのだとしたら、それはお互いが合意した内容であってもその部分が無効になって、法律の定める基準まで引き上げられるよ、ということになります。
それから、関連してもう一つ、労働基準法第1条には、第2項もあります。
労働基準法第1条(労働条件の原則)
法律で決まっているのは最低限の話でしかないんだから、「この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努め」ていきなさいよ、と定めています。
たとえば、
労働基準法第35条(休日)
労働基準法ってどんなもの?
ここまで法律の世界で労働者として扱われる人、そうじゃない人という話をしてきました。
では実際にこれからいろいろな法律について見ていきましょう。
会社と従業員の間には雇用契約、あるいは労働契約というものが結ばれていました。
雇用契約と労働契約は違うものだと考える人もいますし、いやいや同じものだよという人もいます。
人によって違いますが、ここではあまりはっきり区別しないことにしておきます。
ただ、それぞれの言葉が出てくる法律は少し違ったりします。
「民法」という法律があります。
前回紹介した権利能力がどうこうという話も、実は民法に関するお話でした。
この法律は、基本的に私人を対象にしています。
私人とはこれ、となかなか断言できないのですが、普通は国とか自治体以外の個人であったり、企業などの団体のことを言います。
(企業、つまり会社も法律上の人ではありましたよね。)
例えば個人や民間企業が物の売り買いを約束したような場合に、どういうことがあればこれが法律上の契約として有効(あるいは無効)になるとか、そういった法律的な面での理屈を民法で決めているわけです。
他にも抵当権とか、婚姻とか相続とか、いろいろな規定はあるのですが、とりあえずは私人同士の契約について考えていきます。
民法第623条(雇用)
雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。
たとえばこんな規定です。
ですから、民法に基づいて、ある人が労働に従事することを約束する代わりに、相手方である別の人が労働に対する報酬を払うことを約束することで、雇用契約が成立するわけです。
ただし、民法には大きな前提があります。
それは、一人一人は対等であって、対等な私人同士が、お互いの自由な意思によって内容を決めて契約をするということです。
でもこれってちょっと不都合な場合もあります。
みなさんは歴史の時間に習ったことや、物語の中で読んだことがあるかもしれません。
悪いお金持ちが、あまりお金のない人を安いお給料で休みもなくこき使ったりする話を。
もしかしたら、その結果ケガや病気で亡くなってしまったりしたこともあったかもしれません。
どんなケースでも絶対にそうとは言い切れませんが、一般的に雇われる側というのは、雇う側に比べて弱い立場にあります。
雇う側にはお金があって、このお金は明日も明後日でもお金として使えます。
ですが労働は明日にとっておくとかってことはできません。
気持ちとして、今日働からずに休んだから明日は2倍働くぞということはあるかもしれませんが、現実には今日働かなければ今日の分のお金はもらえないし、明日は明日の分の労働をしてその代わりに明日の分の賃金をもらえるだけです。
ですから、働けるときに働いておかないといけない、今日働くという売り物は、今日しか売れないのです。
こういったことも立場の弱さに関係あります。
ともあれ、立場の弱い人と立場の強い人の間で契約を結ぶということは、対等な私人同士の自由意思による契約という前提を満たさないことになります。
この立場の違いを無視して民法をあてはめると、結局立場が弱いという現実が問題になって、安い賃金で、劣悪な環境で、こき使われるという問題が出てくるのです。
ですから、これを修正しないといけません。
どのように修正するかといえば、民法は民法として残しておきながら、違う法律も作ることにしました。
雇う側と雇われる側は対等ではありません。
この現実を踏まえて、民法よりも優先される法律を作る。
その一例が労働基準法という法律です。
そして、原則としては民法のルールがあって、契約の内容はお互いに合意すれば自由に決められる。
だけれども、たとえば働くうえでの条件っていうのはお互いに合意があったとしても、労働基準法の内容よりも悪い条件にしてはいけないよ、という仕組みにすることにしました。
次のような形で。
労働基準法第13条(この法律違反の契約)
この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による。
どういうことでしょう。具体的に考えていきましょう。
(ここでは雇用契約ではなく、労働契約という言葉を使っていますね。)
Aさんは、毎週月曜から金曜まで週5日、朝の9時から夜の8時まで働くという条件でB社に雇用されました。
途中にお昼休憩を1時間取ることになっているので、実際に働く時間は10時間です。
とにかく、AさんとB社は、お互いにこの条件でいいよということで合意しました。
でももしこの内容が、13条にあるように労働基準法が定める基準に達しないのであれば、修正が必要になります。
労働基準法第32条(労働時間)
AさんとB社は、1日10時間、週5日で1週50時間働くという条件で契約をしました。
でもこれって、第32条にある、「一週間について四十時間」とか、「一日について八時間」よりも長い時間ですよね。
こういうとき、AさんとB社の契約は、第13条に書いてあった「この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約」であるという扱いをされます。
じゃぁ契約が無効になって雇われること自体がなくなってしまうので、Aさんはまた仕事を探さないといけないのか?といえば、そうではありません。
これも13条に書いてあるとおり、「その部分については無効とする」からです。
「その部分」、つまり労働基準法の基準に達しない部分のことですから、ここでいえば労働時間を1日10時間としたり1週50時間としている部分は無効になりますが、契約自体が無効だということは法律は定めていません。
むしろ契約自体は有効であるから、ちゃんと雇い続けないといけないけれども、10時間や50時間という部分は無効にするよ。
そのかわりに「この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による」んだから、1日8時間で、1週間では40時間という内容に修正するよ。
ということになるのです。
ただ、第32条は、あくまで労働時間についての大原則のような話です。
労働基準法の中でも、変形労働時間といって、いろいろな条件を満たすことで、ある特定の期間には1日8時間とか1週40時間を超えてもいいよ、というルールを作っていたり、そもそも業種と規模によっては1週44時間までOKだということもあります。
それから、第36条で、会社と従業員の代表(あるいは労働組合という従業員の団体)が協定、約束の文書を作れば、そこに書いてある内容の範囲内で、法律に違反することなく1日8時間とか1週40時間を超えて働かせてもいいよ、というようなことも決めています。
(第36条に基づく協定なので、これをよくサブロク協定と呼びます。)
ともあれ、労働基準法という法律では、立場の強い弱いがある雇う側と雇われる側の間で、もし合意したとしても違反することができない、最低限の基準を決める。
こういったことをすることで、働く人にゲタを履かせて保護する。
そうして、「対等な私人同士の自由な意思に基づく契約」という民法の考え方だけではカバーできない部分を補っています。
労働基準法には他にも役割があったりしますが、とりあえず今日のところは労働条件の最低基準を定めている、というお話をしました。
それでは。
労働者ではない人って誰でしょう。
ひとつ前の記事で、労働関係の法律は主に労働者、典型的には会社の従業員として働いている人、を対象としているというお話をしました。
じゃぁ逆に、働いているのに労働関係の法律の対象にならない人ってどんな人でしょう。
これについても、前の記事で紹介していました。
たとえば、会社の社長さんや他の取締役とか、監査役といった方。
会社の中でいわゆる役員という立場にある方です。
この役員も、会社との間で結んだ契約によって働いています。
※ほかにも、個人事業主として仕事をする人もいます。
個人事業主の場合は、少なくとも個人事業主として自分の事業をするということにつ いては、誰かと契約をするわけではなく、自己判断ということになります。
(事業活動の一つとして、他の会社と契約して仕事を請け負うようなことはありますが、例えばその仕事を受ける受けないの判断をするとか、今後の事業展開を考えるというようなことは、誰かと契約して誰かのためにするわけではなく、あくまで自分のこととしてするわけです。)
労働者、つまり会社の従業員は、会社との間で結んだ労働契約によって働いています。
この場合、契約の中で仕事の内容や働く日時、場所などのいろいろな条件を決めていたり、働くうえで会社からいろいろな業務上の指示を受けながらそれに従うというのが、労働者としてするべきこととなります。
一方、役員という立場はどうでしょう。
基本的にこの人たちは、働くうえでのいろいろな制約とか指示とかを会社から受けるわけではありません。
もちろん役員の中にも序列があるので、社長が専務に指示を出し、専務が平の取締役に指示を出すこともありますが、一つ一つ細かな仕事内容の指示というよりは、もっと広い方針のようなものを伝えられて、その後は自分が持っている権限の中で自己判断によって、その方針を実現できるよう仕事をしていくわけです。
また、毎日何時に来て何時に帰るとか、そういった時間の縛りも厳密にあるわけではありません。
やらないといけない仕事があれば、朝早く来たり夜遅くまで残っていることもあるかもしれません。
ですが、別に昼に来ておやつの時間に帰っても、特に叱られるわけではありません。
こういった会社の役員という立場の人は、一般的に会社との間で「委任契約」というものを結んでいます。
先ほど見たように、役員の働き方は労働契約を結んだ従業員とは違い、働くうえでの条件とか働き方について細かく会社に決められるわけではありません。
取締役がやっていることは、会社の方針を決めたり、その方針に沿って実際に従業員が働いていくように指示を出したりすることです。
それによって、会社が事業活動を継続していくようにすること、これが会社の経営であり、取締役の仕事です。
こうなると朝だとか夜だとか言ってられませんし、会社の方針を決める側なので細かく指示を受けるわけでもない、ということになります。
・・・・・・・
直接は関係ないんですが、一つお話を。
相変わらず長い長いお話です。
会社というのは目に見えるものではありません。
いやいや何言ってんの、うちの会社はちゃんと事務所も工場もあるし、従業員もお化けじゃなくてちゃんと実在してますよ、と思いますよね。
でも、それは会社の事務所であり、会社の工場であり、会社の従業員ではあっても、会社そのものではありません。
たとえば山田さんが住んでいる家が目に見えるからといって、その家が山田さんであるとは思わないですよね。それはあくまで、山田さんの家です。
このことについては特に違和感はないと思います。
どうして会社の場合と山田さんの場合で違う風に思うんでしょう。
法律という観点から見てみましょう。
法律の世界では、山田さんのように実在する人間のことを「自然人(しぜんじん)」と言います。あまり馴染みがないですよね。
山田さんは自然人である、というと難しく見えますが、言ってることはつまり実在する人間であるというだけのことです。
これに対して、会社のことは「法人(ほうじん)」と言います。
法人、この言葉は聞いたことがあるかもしれません。たとえば法人税という税金があったり、NPO法人とか一般社団法人なんて言葉はちょくちょくニュースなんかでも出てきます。
両者の違いは何か、それが「自然」か「法」かということです。
というとなんのこっちゃと思いますよね。
逆にいうとどちらも共通して「人」なのです。
これもよくわからないですよね。
まず、自然人というのは、言葉どおり自然に存在する人です。
法律の世界では、生まれることによって自然人として取り扱われることになります。
そうするとどんなことがあるのか。
それは、権利を持ったり義務を負うことができるということです。
ややこしい言葉では、出生することによって権利能力を持つ、と言います。
具体的に考えてみましょう。
山田さんが生まれたとき、この小さな赤ちゃんは、泣いたりお乳を飲んだり寝たりすることしかできません。
だけど、法律の世界では、赤ちゃんであっても権利能力を持っているという扱いをします。
ですから、あくまで例えですが、生まれたばかりの山田さんを残して、急な事故でご両親が一緒に亡くなったようなことがあれば、山田さんは残された財産を相続して、自分のお金を持つことになります。
もちろん小さいうちは本人にそんなことはわからないので、親の代わりにいろいろなことをする後見人という方が、その財産の管理をすることになります。
ですが、それはやっぱり山田さん本人の財産であって、後見人が持っている財産では有りません。
大きくなって自分で判断ができるようになってくると、今度はその財産を自分で管理することになります。
ほかにも、例えば会社と労働契約を結んで労働の義務を負う代わりに、賃金を請求する権利を持つこともできます。
権利能力を持っているということは、権利を持ったり義務を負ったりすることができる、ということですからね。
そしていろいろな経験をしながら人生を過ごしていき、最後には泉下の客となります。
要するに、亡くなるということです。
出生とは逆に、亡くなると自然人ではなくなります。
自然人でなくなるということは、権利能力がないということですので、権利を持ったり義務を負うことはできません。
ですから、残された財産や借金は、例えば山田さんの子供が相続する、といったことになるわけです。
山田さんがどんなことを考えて、どんな人生を送ったのかは分かりませんが、ともあれ生まれてから亡くなるまでの間の山田さんは、法律上権利能力を持っていました。
山田さんが法律上の「人」であり、その中でも「自然人」だったからです。
一方で、会社の場合はどうでしょう。
会社は法人である、という話をしました。
会社も、法律上は「人」なのです。
あくまで法律上は。
だから、法(律上の)人なんです。
会社はオギャーと泣いて生まれるわけではありませんし、寿命を迎えてこの世を去るわけでもありません。
自然に生まれるわけではなく、あくまで会社を作ろうとする人がいて、一定の手続きをすることでできるわけです。
じゃぁ人はなぜ会社を作ろうと思って手続きをするのでしょう。
それは、会社という存在が、自然人とは異なるけれども、法律上は人として扱われるからです。
さらに深堀りしましょう。
なぜ、人として扱われるからといって会社を作ろうと思うのか。
それは、会社が権利能力を持てるからです。
山田さんが会社を作ろうとしたとき、山田さんは自分という自然人が権利を持ったり義務を負ったりするのではなく、会社という存在に権利を持ったり義務を負ってもらいたいのです。
このあたりはさらに複雑な話になるので簡略化しますが、会社に権利能力がないとどうなるのでしょうか。
たとえば山田さんは、宝石や時計なんかを買い取って販売する商売を始めるかもしれません。
法人という存在がない世界だとすると、商売のために建てたお店も、買い取った一つ一つの宝石や時計も、事業をするために銀行から借りたお金も、これらは全部山田さんという一自然人の権利義務に関係するものになります。
でもこれって、結構いろいろ不都合です。
不都合の極一部をざっくり紹介すると、事業のために必要なものなのか、個人的に持っているのかに関係なく、どれも山田さんの財産としてごっちゃくたになってしまっています。
事業を誰かに売ろうとしたときにも、建物の名義を変えたりしないといけないですし、もし山田さん亡くなって相続があれば、相続人にお金や宝石や借金といったプラス・マイナスの財産が分散していきます。
他にもいろいろあります。
個人の権利能力だけですべてを終わらせようとすると、面倒が多いんです。
法人が存在する場合だとどうなるでしょうか。
山田さんは法人を作って、そこに事業に必要なお金や財産を渡すことができます。
そのかわりに、例えば株式会社であれば、株式という権利をもらいます。
建物も宝石も時計も会社のものになるので、もう山田さん個人のものではありません。
ですが、山田さんは会社の株式を持っていることで、会社の活動をコントロールできます。
自分でもいいし、他の人でもいいですが、会社の役員を選んで経営をさせて、利益が出れば株主として配当という形で会社からお金をもらうことができます。
事業を売る場合でも、一つ一つの財産を売るのではなく、会社の株式を売るということになります。
会社の建物は会社の名義ですから、わざわざ変える必要もありません。
会社として銀行から借金をしていたとしたら、それも会社の(マイナスの)財産として会社が持っているものですから、会社の株式を持つ人が変わっても会社の財産で有り続けることに変わりはありません。
山田さんが亡くなったとしても、相続の対象になるのは株式ですから、一つ一つの財産が分散していくわけではありません。
だから、会社とか、あるいは団体といったような、人ではないものにも権利を持ったり義務を負わせたりできる方が、世の中でいろんな活動が行われるうえで都合がいい。
そのために、法律は目の前の現実とは違う設定を考えました。
会社というのは、人であると。
人であるから権利能力を持っているんだと。
だから、法律の世界の「人」には、実在する人間も含まれるし、実在しないけど人であると設定した会社も含まれるのです。
そしてその両者を分ける言葉として、前者を法律がなくても自然に人であるから自然人と呼び、後者を(本当は人ではないんだけれど、権利能力を持たせるための理屈付けとして)法律の上では人として扱うから法人と呼ぶことにしました。
自然人は実在するので目に見えますが、会社は法律で人であると決めただけで肉体があるわけではなく、いってしまえば空想なので目に見えないのです。
だから、会社の事務所はあくまで会社の事務所であって、会社そのものではないんです。
このへんはいろいろな考え方があって、今ご紹介した話もあくまで一つの考え方なんですが、少なくともこういう風に考えることもできるというところです。
・・・・・・・
久しぶりに本題に戻ります。
会社そのものは目に見えません。
ですから、私たちが会社の活動だと思っていることというのも、実際には会社そのものが何かしているわけではなく、分解していくとその会社で働く人が何かをやっているということになります。
取締役は、会社の経営をしているという話を上の方でしました。
会社だけあっても何もできないので、具体的に会社を経営していくという仕事は、会社と委任契約を結んだ取締役が行っているんです。
これは時間を決めたり、指示に従うという従業員の仕事とは大きく異なり、常にいろいろな判断をしていきます。
ですから、同じ会社の中にいても、役員と従業員というのは、違う契約に基づく違う働き方をしています。
会社のために仕事をして、会社からお金をもらうという関係は同じですが、仕事の種類がそもそも違うのです。
そして、この役員には、労働関係の法律は適用されません。
労働者のように、会社に従う立場ではなく、むしろ会社そのものの側ですからね。
ただし、役員の中には、役員なんだけど従業員でもあるよ、という人もいます。
その場合は、会社との間で委任契約を結んで役員として働きながら、雇用契約も結んで労働者としても働いているよ、ということになります。
そんなことあるの?と思うかもしれませんが、結構ある話です。
この場合は一般的には、労働者として働く部分については労働関係の法律が適用される、という扱いになります。
今日のお話は労働法の話ではなく、労働法の適用対象ではないのは誰かというお話でした。
さっさと労働法の話に入ればいいんですが、労働者が誰かという線引きは、労働者ではないのは誰かという話と表裏一体の話ですので、ここで書いておきました。
途中の話が長すぎるのはご愛嬌ということで。
それでは。
労働者って誰でしょう。
労働に関する法律のお話をするにあたって、まずはこれからするお話がどういう人に関係することなのか、ちょっと考えてみましょう。
・・・・・・・・・・
世の中ではたくさんの人が働いています。
イメージしやすいのは会社の従業員として働く人(お店の店員さんとして働く人もいれば、工場で自動車の部品を作る人もいれば、事務仕事をしている人もいれば・・・)ですが、
たとえばその会社の社長さんのように役員として働く人もいれば
自分で事業を興して個人事業主として働く人もいます。
日本語の労働という言葉の意味を「働くこと」ととらえれば、上にあげた人たちは全員労働する人=労働者です。
ただ、法律の世界では少し違った考え方で分類していきます。
先に答えを言ってしまうと、労働に関する法律というのは、基本的に会社の従業員という立場の人に関係しています。
会社の従業員として働くときにどんな働き方をするのかとか、そういう従業員を雇っている会社がどんなことをしないといけないか、といったことが大きなテーマになります。
(基本的に、という誤魔化しの言葉を入れておきました。いろんな法律の中には、従業員に限らない内容のものもあります。あくまで、メインで関係するのが従業員である、ということです。)
じゃぁそもそも、会社の従業員であるということにはどんな意味があるでしょう。
ふつう、従業員として働く人は、それぞれどんな仕事をするか、どの日に働くか、何時から何時まで働くか、どの場所で働くかといった、働くうえでのいろいろな条件が「決まって」います。
(例えばある人は、毎週月曜日から金曜日に、朝の9時から夕方6時まで、会社の事務所に通って、会社がするいろんな取引の支払いのためにお金を振り込んだり、逆に振り込まれるお金をチェックしたり、えらい人がお金の動きを確認するための資料を作ったりしています。)
そして、好き嫌いにかかわらず、上司からのいろんな指示に従って働かないといけないよ、ということも、なぜだか「決まって」います。
(話が長いし、上の人にはペコペコするのに部下にはきつく当たる嫌な課長だけど、とはいえ上司なのでとりあえず言われたことには従います。)
どうして「決まって」いるのでしょう。
好きなときに好きな所で好きなように好きな仕事をして、それで暮らしていければいいじゃない!と思ったりもしますが、それができないのはなぜでしょう。
その答えは、そういう条件で働きますよ、という約束をしているからです。
誰と?
勤め先の会社とです。
(個人事業主に雇われることもありますが、ここでは会社ということにしておきます。)
ですから、世の中にたくさんいる会社の従業員という立場の人は、会社との間で、
いつどこでどんな仕事をしますよ、
とか、
会社(の方針に従って従業員の管理をする上司)の指示に従いますよ、
という約束をしているということになります。
どうしてこんな約束をしてしまったのでしょう。
こんな約束をしてしまったがために、毎週日曜日の夜に憂鬱な気持ちでサザエさんを見る人が後を絶たないのに。
勤め先以外の会社とはこんな約束をしていないので、たとえば朝9時に会社に来て書類を作れと言われても、そんなことはしませんと言えます。
むしろ言わないとおかしい、なんでそんなことをしろと言われなきゃならないのか、と。
それなのに、ああ、それなのに。
なぜ勤め先の会社とは約束をしてしまったのでしょう。気の迷いでしょうか。
たぶん皆さんにはもうお分かりだと思いますが、
こういう約束をした理由は、そうすることで自分にとって得になることもあるからです。
それはもちろん、お給料がもらえるということです。
約束をした従業員は、これこれこういう条件で、会社の指示に従って働きますよという内容をちゃんと守らないといけません。
一方で、会社は、そのとおりにちゃんと働いてくれた従業員に、〇〇円のお給料を払うよ、という内容を約束していて、それをちゃんと守らないといけません。
(時給1,200円かもしれないし、月給25万円かもしれません)
こういう関係だからこそ、従業員という立場の人たちは、(嫌々だとしても)会社のために働くのです。
そして会社はこういう約束をすることで、いろんな人に従業員として働いてもらうことができます。
例えばお店の商品を売ってもらう、工場で材料を加工して商品にしてもらう、とか。
こうすることで、会社としての売上になるお金を稼いでいます。
中には、会社が続いていくために、役所に出さないといけない書類を作るような仕事をする人もいます。
これ自体が直接お金になるわけではないですが、こういうこともちゃんとやっておかないと会社として活動できなくなっちゃうので、めぐりめぐって会社がお金を稼ぐことにつながる立派な仕事です。
そして、従業員に約束どおり働いてもらったお返しとして、会社も約束どおりお給料を払う、ということになります。
・・・・・・・・・・
前置きが長くなりました。
ここで紹介したような従業員と会社の約束のことを、法律の世界では「雇用(こよう)契約」、とか「労働契約」という風に呼びます。
契約というのは、ざっくり言えば約束のことです。
少し法律の話もしておきましょう。最初なのでそれほど難しい話ではありません。
その名もずばり、「労働契約法」という法律があります。
その法律の第6条では
「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。」
ということが書いてあります。
これだけ見てもピンときませんよね。何言ってんだろって感じです。
言葉の意味としては、労働者というのは従業員(雇われる側)、使用者というのは会社(雇う側)のことで、賃金というのはお給料のことです。
ですから、ここに書いてあることを日本語に訳す(※もともと日本語ですが)と、
「会社の従業員として働くという約束は、雇われる側である従業員が、雇う側である会社の指示に従って働いて、会社がこれ(=働いてくれること)に対してお給料を払うことについて、従業員も会社もお互いにOKだよという場合にだけ意味があるよ」
といったことになります。
約束の話をしていますから、どちらか片方だけがOKな場合は意味がありません。
お互いに、この内容でいいよ、と意見が一致しないと、契約は成立しないのです。
こういう風に「働くこと」と「お金を払うこと」を、交換条件としてお互いにOKして、そこではじめてその会社の従業員として働く、ということになります。
もちろんだいたいの場合はそこまで深く考えてはいません。
世の中の常識で考えてよくあることとして、ある程度の年齢になったら会社で働いてお給料をもらうのが普通だよね、ぐらいのことで従業員になっている人もたくさんいます。
その考えとか行動を、じゃぁ法律の世界ではどういう風な見方をしているのか、それがここまで紹介した労働契約ってどんなことなのか、というお話になります。
学問の世界ではよくこういうことがあります。余談ですが。
たとえば、私は特に難しいことを考えなくても、まっすぐ歩いてみたり、スキップをしてみたり、反復横跳びをしたりすることができます。
物を手でつかんで投げることもできるし、拍手をすることもできます。
ですが、たとえば足や腕のあるロボットが目の前に現れたとして、そのロボットに、歩くときのバランスのとり方とか、物を投げるときの細かい腕の動き方を教えることはできません。
私がする一つ一つの動きは、脳の指令のもと、体中のいろいろな神経や筋肉が活動し、それらが複雑に絡み合ってはじめてできていることです。
ですが、当の本人である私には、その理屈は正直分かりません。
なので、ロボットに対して、
「歩くときには、こういう風に左右のバランスをとりながら上下にもこんな感じで注意しつつ、右足のこの部分をこう動かした後にその下のこの部分をこう動かしてね。そうしたら、すかさず今度は左足のこの部分をこう動かしていってね。あ、あと同時に腹筋はこういう力の入れ方をして、それにあわせて腕のこの筋肉はこうしてね」
なんて説明はできません。
ですが、現実にはロボットは歩いたり、物をつかんだりしています。
これは、人間の動きを分析する学問が、人間の歩行という動作においては、体のそれぞれの部分がどのように動いているかといったことを解明していったり、ロボットを動かすことを研究する学問が、じゃぁ人間と同じような形をしたロボットを人間のように歩かせようと思うと、こういう設計でロボットを作って、こう動くように指示をしたらいいのかな、といった実験を繰り返したり、そういった歴史の成果です。
私にはその歴史も成果もよく分からないので、あぁロボットが歩いているなぁ、すごいなぁとしか思いません。
世の中だいたいにおいて、そんなもんです。
法律の世界も同じようなことが起こっています。
それぞれの人の行動は、だいたい法律のことなんか意識せずに、そうすることが自然だとか、常識で考えて当たり前だから、といったことでしているかもしれません。
でも、そういった一つ一つの行動を、法律という切り口で分解して眺めてみたとき、そこではどんなことが起こっていて、それがどういう意味を持つのか。
そういったことの一例が、「従業員は、会社との間で労働契約を結んでいる」ということになっていきます。
だいぶ長くなりました。
タイトルの労働者って誰でしょうということに対する答えは雇われる側である、ということを既に書いていますが、もう一度復習しておきます。
使用者(雇う側のことでしたね。)に使用されて労働し、これに対して賃金を受けることができるという労働契約を結ぶことについて、使用者との間で合意した人のことです。
一番分かりやすい例が、会社の従業員という立場の人です。
そしてこれも既に書いたことですが、このブログで紹介する労働に関する法律というのは、おおむねこの労働者が働くことに関係するものです。
今後、そういうテーマでいろいろなお話をご紹介できればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。